キリスト教との出会いから洗礼

堺ブロック 橋本教会 信徒 北森(きたもり)孝道(こうどう)

私は昭和二十五年にキリスト教の島天草郡(あまくさぐん)下島(しもじま)に生まれました。そして、小学六年生の六月に苓北町(れいほくまち)志岐(しき)にある曹洞宗(そうとうしゅう)のお寺に小僧として入りました。それから中学校を卒業して、福岡市博多にある明光寺(みょうこうじ)専門(せんもん)道場(どうじょう)に入ったのですが、一年目の修行中四月に()(そう)の本寺で大法要があり、どうしても私も法要に出なければいけなくなり、一旦天草に帰りました。その後、法要も終わり修行道場へ帰るため、長崎駅より電車に乗って座っていると、向かいの席に見知らぬ神父様がお座りになり、私に声をかけてキリスト教について簡単なお話をしてくださいました。もっと聞きたかったのですが、すぐに博多駅に着いてしまい、その後お会いすることはありませんでした。私の心の中に神父様とのお話が今も残っていて、懐かしく思い出されます。

 二年間の修行が終わってからは托鉢(たくはつ)修行(しゅぎょう)をしながら旅に出るのですが、縁あって愛知県東海市のお寺にお世話になり九年間滞在しました。それから再び托鉢の旅に出て、昭和六十一年一月に神奈川県藤沢駅近くに安いアパートを借りて托鉢をしながら簡単なアルバイトをしていました。その時にキリスト教信者の方に声をかけられて、勉強のつもりでキリスト教幕屋(まくや)の集会に参加したのがその年の一月から三月でした。そのころ富田林市に住む母から連絡があり、体が悪いということで、藤沢から母のところに帰ることとなり、一年間いましたが父違いの母の子供が後の母の世話をするというので、私は再び托鉢の旅に出て奈良方面に行き、奈良市内で曹洞宗のお坊さんと出会いました。その方の世話で五條市(ごじょうし)西吉野(にしよしの)(そん)(りつ)川渡(かわど)にある寺で(やく)一年(いちねん)いたあと、大塔村(おおとうむら)坂本(さかもと)の寺に五年ほどお世話になり、五條市(ごじょうし)野原(のはら)の地で細やかなアパートに居を定めました。

 そして警備員のアルバイトを二十五年間ほどしたのですが、その日々の中で知人に現在のフィリピン人の妻を紹介していただきました。彼女はカトリック信者なので、一緒に橋本教会に通うことになりました。ミサに参加するうち橋本教会のみなさんと早くとけ込めたらいいなと思うようになり、妻と話し合いを続けて洗礼をうける決心をしました。神様のお導きによって、令和六年三月三十一日に橋本教会にて洗礼を受けさていただきました。このことを心から神様に感謝しますと共に、皆様に熱く御礼申し上げます。アーメン。