祈り(カイロス)を繋げて

 堺ブロックチーム 高畠神父  

 堺教会は1924(大正13)52日、大阪教区長カスタニエ司教の命で派遣されたパリ外国宣教会のセツール神父によって車ノ町2丁の民家で産声を上げました。因み(ちな)に阪神甲子園球場もこの年(甲子(きのえね)(とし))81日に竣工されています。

1928(昭和3)、大阪教区は堺東駅近くの北花田口町に広い土地を購入し、礼拝堂、ホール、伝道師の住宅と司祭館を建てて献堂式が行われ、翌年、1929(昭和4)に聖堂のそばに幼稚園と授産所を建てることにより地域住民に開かれた教会となっていったのです。

教会に残る資料には抜け落ちていますが、堺教会の歴史にも戦争という重苦しい時代がありました。敵国人の司祭として司牧し、敵国の宗教祭儀を()り行っていたセツール神父、そしてそれを支えてきた信徒の方がたのご苦労は想像するに余りあるものだったと思われます。

戦後すぐに日本人の教区司祭が主任司祭として司牧していましたが、1954年からは淳心会(スクート会)に委託され、複数の司祭による司牧が行なわれました。高度成長期を迎えようとしていたこの頃、豊富な人材と外資が堺教会の更なる発展に拍車をかけたことは言うまでもありません。そして1964(昭和39)、堺市の道路拡張計画に伴って慣れ親しんだ地を離れ、現在地(向陵中町)に移転して来たのです。

大阪教区の中でも最も早くから(1988年~)共同宣教司牧を行なってきた堺教会は、創立時から現在に至るまで、54名の司祭と4名の修道女たちが司牧にかかわり、その国籍は9カ国に及びグローバルな視野を堺教会にもたらしてくれました。そんな堺教会は今年100周年を迎えます。

ギリシア語に「時」を表す言葉が「クロノス」と「カイロス」の2つあります。「クロノス」とは過去から未来へと一定速度・一定方向に機械的に流れる量的時間。「カイロス」とは速度が変わったり繰り返したり逆流したり止まったりする質的時間です。祈りは神との交わりの時であり、永遠を垣間見る「カイロス」の時でしょう。この堺教会には100年という限られた「クロノス」では計ることのできない、今も共に生きる生者と死者の祈り(カイロス)が充満しているのです。